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	<description>デザイン×ビジネス×テクノロジー</description>
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		<title>『助手になったその瞬間。カーネギーホール向かいのカフェにて』 連載 石岡瑛子さんからの個人レッスン – 6</title>
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		<pubDate>Fri, 18 May 2012 06:51:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>阿部譲之</dc:creator>
				<category><![CDATA[石岡瑛子さんからの個人レッスン 〜 元助手の体験記]]></category>

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		<description><![CDATA[マンハッタンの昼下がり。わたしは、57丁目と七番街の大通りが交わる角に建つ「カフェ・ヨーロッパ」で、石岡瑛子さんが来るのを待っていた。 快速「A」トレインにダウンタウンから乗って北上し、セントラルパークの左下角に位置するコロンバス・サークル駅で降りた。マンハッタン島を斜めに貫くブロードウェイを2ブロックくだってから左折し、57丁目の通りを東へちょっと歩くと、約束の時間よりも30分ほど早めに到着していた。 わたしは、窓の向こうにカーネギーホールが見える席に座って、黒いユニフォームのギャルソンにラテを頼んだ。ここは、交差点を挟んでカーネギーホールの斜め向かいにあり、公演を観に来た人々が立ち寄る店だ。その名のとおり、ヨーロッパのどこかの都市からそのまま持ってきたような雰囲気。石岡さんはカーネギーホールの並びの超高層マンションに住んでいる聞いていた。自宅から歩いてすぐの、彼女に指定された場所だ。 石岡さんとすぐに仕事の話ができるように、昨夜の電話の後に走って買いに行ったオレンジ色の表紙のオペラ脚本をカバンから取り出して、マグカップを片手に読み始めた。この面接的なものの後にテストの仕事を頼むと言われていたし、もちろん彼女を感心させたいという思いもあった。 アメリカ人の美大生なら「勉強してきました！」と露骨にアピールするところだろうが、相手は国際的なデザイナーとは言っても日本人だし、なんだか照れくさくもあり、約束の5分前になってから、本はテーブルに置いて表紙は伏せ、題名が書かれた背表紙は、石岡さんがもう少ししたら座るであろう席からは見えない方を向けた。 指定の時間から10分ほど過ぎた頃、カフェの入り口に、はじめてのときと同じ全身黒ずくめの小柄なおばさんの姿の見えた。キョロキョロとカフェを見回し探している。前回の登場とはうって変わり、サングラスもかけておらず、服装こそ黒ではあるもののカジュアルな出で立ちで、小脇にノートバッドを抱えている。自宅からひょっこり出てきたという雰囲気。 わたしは、あわてて立ち上がり、彼女の方に手を上げた。石岡さんは、ギャルソンに「連れと一緒」と英語で一言うと、満面の笑顔で私のテーブルに一直線にスタスタと向かってきた。この前の大迫力の登場とはえらい違いだ。 「すみませんね、ちょっと待たせちゃったわね。」 彼女は楽しそうな声でそう言うと、自分のイスに座り、たしか紅茶を頼んだように記憶している。注文を取りに来たギャルソン氏と冗談を言い合って、キャッキャ、キャッキャと笑っている。わたしは、ちょっと拍子抜けした。 とは言っても、今日は面接なのである。テスト仕事を出して、それから手伝ってもらうかどうかを決めると、この人は言っているわけだから、まだ油断ならない。 石岡さんは、まず、今の仕事のスタイルから話しはじめた。 彼女は、たくさんのスタッフを抱える東京の事務所を畳んでアメリカに渡り、NYを仕事の拠点にしてからは、世界各地のプロジェクトごとに現地で別々の精鋭チームを組んで仕事をしているという。従って、常に彼女に常時張り付いている助手は雇っていない。 大きなプロジェクトだと、それぞれプロデューサーが助手を雇ってくれるから、学生のインターンというのもいままで一度も使ったことがないという。そもそも学生という海のものとも山のものともつかぬ民族は信用していないのだと言う。つまり、もしも採用ということになれば、私は、少なくとも彼女のアメリカでの仕事人生において、はじめての学生助手ということになる。 そんな彼女が私に興味を示した理由は、デザインコンペ審査会での私の仕事ぶりが良かったこともあるだろうし、海老原嘉子さんという共通の知人がいることもあるのだが、決め手は別のところにあった。 このとき彼女は、ほぼフルタイムで「オペラ」のコスチューム・デザインに没頭していたのだ。 オペラやクラッシック音楽、バレエといった古典舞台美術は、行政からの助成金や、企業・個人からの寄付で成り立っていて、予算は極めて少ない。石岡さんが手掛けていたのは、アムステルダムを拠点にするオランダ国立歌劇団の公演で、数年にわたる長丁場の仕事の間、現地に滞在中はオペラハウス所属の職人達と一緒に仕事をしているものの、NYにいる間は手伝いがいなくて苦労していると言う。 そんなにお金にならないプロジェクトを数年にわたってやっている理由は、ワグナー作曲「ニーベルングの指輪」４部作、つまり4本の長編オペラから構成されるこの作品が、滅多に実現しない大事業であり、かつ、舞台監督からの熱いラブコールを受けたからだと言う。後に聞いた話では、この大作は、ヨーロッパ各地の一流のオペラハウスでは採算度外視の大赤字演目として目玉商品なのだそうだ。 その儲からない大作オペラのおかげで、偶然にもわたしの出番が回ってきた。 このとき、すでに４部作のうちの1作目の衣装をつくっているところで、私が手伝うことになれば２作目の「ワルキューレ」からだという。 たったの30分前のことだが、わたしは、かろうじてワルキューレの途中までは、脚本を飛ばし読みしていた。 「まず、そのための資料集めをお願いして、あなたのトライアルということにしてみたい」と、彼女は言い、ワルキューレがどんな話かを私に説明しはじめた。 私は、スペルが全くわからない登場人物の名前を日本語と英語混じりで猛スピードでメモしながら、ときおりアメリカ流に彼女の目をじっと見つめて相づちをうち、神々が結婚やら嫉妬やらに狂いまくるという第2幕のストーリーを続ける彼女の声に耳を傾けた。 そのうち、さっき読んだばかりの話なものだから、わたしは、無意識にストーリーを知っているようなそぶりで相づちを打ち始めていた。 石岡さんは異常に勘が鋭い人だ。工業デザインを勉強しているそのへんの若い学生が、ワグナーのオペラの筋書きを細かく知っているはずはない。 途中で、何かがおかしいと感づいたのか、彼女の表情が曇った。 彼女は突然無言になり、テーブルの隅に伏せて置かれた一冊の本を鋭い目でみつめたと思うと、漫画のような音を出して「はっっ！！」と息を飲んで眼を剥き、猛スピードで私の本に手を伸ばして手元に引き寄せ、表紙を一瞥。ゆっくり顔を上げると、私の方をジッと見た。 ニヤっと笑い、私の人生で彼女の口から２度だけ聞くことになるセリフを言った。 「・・・ヨシさん。やぁりますね。」 親方は本を両手で持ったまま、私と表紙を交互に眺め、なにかに納得したみたいに、何度も何度も、小さくうなずいていた。 採用。 &#160; ｛写真：この日に持って行った脚本の実物。先月引っ越しのときに出てきました。まさかまだ持っていたとは思わず。当時の書き込みや、貼ったままのポストイットが懐かしい。｝ ＝＝＝ つづく ＝＝＝ 連載中の全記事 &#62;&#62;]]></description>
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		<title>『神からの電話。オペラの台本を探す夜のマンハッタン』 連載 石岡瑛子さんからの個人レッスン –  5</title>
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		<pubDate>Mon, 26 Mar 2012 14:57:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator>阿部譲之</dc:creator>
				<category><![CDATA[石岡瑛子さんからの個人レッスン 〜 元助手の体験記]]></category>

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		<description><![CDATA[この美大生は、ひとつの大問題を抱えていた。 石岡瑛子という人の経歴をほとんど知らないにも関わらず、初対面の本人に向かって「尊敬しています」と言ってしまったという、あれだ。 わたしは大慌てで、最新鋭の「56Kbps」のネット回線を駆使して、彼女のことを調べ始めた。 当時の彼女は知る人ぞ知る存在だったので、ネットに情報がほとんど無かった。かろうじて見つけたのは、コッポラ監督がカンヌ映画際の審査委員長をやったとき、石岡さんも審査員として参加したようで、その折に掲載されたプロフィールが少々。（後に彼女から聞いた話では、カンヌで金獅子賞を受賞した監督が、後にメンバーを選んで審査チームをつくるので、毎年選ばれる作品の傾向が違うのだという） 次にわたしは、通っていた美大の図書館に向かい、緑色の文字しか表示できない超レトロなパソコンもどきの機械で蔵書を調べ、彼女の最初の絶版作品集「Eiko by Eiko」を奇跡的に見つけた。その大きな本を棚から引っ張り出し、閲覧用の大きな木のテーブルに広げて、1ページ1ページ観察した後、データベースから出てきた雑誌記事にもいくつか目を通したことは覚えている。でも、そのとき彼女の作品を観て何を思ったかまでは定かでない。 電話がかかってくるまでに、石岡瑛子という人を「尊敬」しなくてはいけないわけだ。順番が逆である。ハタチそこそこの学生には、作品を鑑賞してじんわり感動している余裕などあるはずもない。一夜漬けのテスト勉強みたいなものだ。これはひとつの試練である。 石岡さんからの電話があったのは、ソーホーで彼女に初めて会った翌日・・・、いや、もしかすると数日後だったかもしれない。強烈な出来事の連続で、細かいディティールの記憶が少し霞んでしまっている。 私はウォール街から歩いて5分という変なエリアに住んでいた。東京で言うと、丸ノ内に住んでいるような場所。200年以上前、マンハッタンが生まれた当時の赤いレンガ作りの建物が保存された観光エリアの一角で、知り合いのアーティストの紹介で巨大な「ロフト」を光熱費込み600ドルという破格の家賃で借りていた。アメリカでロフトというのは、元倉庫のことである。 ブルックリンにあったキャンパスから、地下鉄で夕暮れのマンハッタンに戻ると、真っ暗なロフトの奥の方で、小さな赤い光がポツリとともっていた。 留守電の再生ボタンを押すと、石岡さんの声。意外と早くかかってきた。 「石岡です。留守のようなので、折り返し電話をお願いします。Two one two, XXX &#8211; XXXX。 よろしく。」 212はマンハッタンの局番。日本語で話していても、自分の電話番号だけはいつも英語でしゃべっていた。 彼女の残す留守電のメッセージは、いつもゆったりと優雅だった。ちょうど、モンブランの万年筆で大胆な文字で書いて次々に送られてくる、あの独特の指示のファックスともどこか似ている。 わたしは美女をデートに誘う電話をかけるくらい心臓をバクバクさせながら、ボタンを1つ1つプッシュした。何度か呼び出し音が鳴ったあとに、いきなり本人が「Hello?」と電話に出た。 秘書でもいるものだと思っていたので驚いたが、社交辞令の言葉をすこし交わし、お手伝いできることはもう決まっていますか？と聞くと、彼女は言い放った。 「失礼ですが、最初にまずテストをさせてもらいます。」 なぬっ。 無料奉公のオファーをしたし、もう初対面ではないから、すぐ手伝いが始まるものと思って張り切っていたから意表を突かれたけれども、そりゃ当然そうですよね石岡さん！というような物わかりの良い、さも自信ありげなニュアンスの返事をした。 人選にはいつも慎重な人だった。最初の試練は、会って面接をしてから出すという。オペラの衣装デザインをするための、資料集めをまず頼むつもりだそうだ。 「なんて言うオペラですか、もし差し支えなければ？」 「ワグナーの『ニーベルングの指輪』という・・・まあ、詳しいことは、もしも採用になった場合に話します。」 私は、手元のメモ用紙に書き殴った。わぐなーのにーべるんぐ。教えてくれたのはこれだけ。 翌日の昼過ぎ、石岡さんの自宅のすぐ近くにあるカフェで会うことになった。 受話器を置いてから高層ビルに面した窓の方に歩いていき、石畳の道を見下ろすと、マンハッタンはもう完全に夜のムードだった。 私は、流行っていた自転車メッセンジャーの黒いカバンを肩にかけると、建物を飛び出し、ヒンヤリとした空気の夜道を足早に歩き始めた。 少し離れたニューヨーク市庁舎前の駅から、各駅停車の地下鉄6番線に乗り、若者の街イーストビレッジに近いアスタープレイス駅へ。そこには、私の家から一番近い大書店チェーンの「バーンズアンドノーブル」がある。 メモを手に私は店員を捕まえ、コンピュータで在庫を探してもらうと、おお、在庫があるというではないか。ビンゴ！　そう、探しに来たのは、石岡さんがポロリと言った、ワグナー作「ニーベルングの指輪」のシナリオ。マンハッタンはオペラ愛好者の人口が多く、脚本が一部の書店の棚に並んでいるのだ。 当時の私はいろんなものに足を突っ込んでいたのだけれど、そのひとつが、東京のデザイン・建築系洋書の輸入会社「東光堂書店」の月2万円のバイトだった。NY中の有名書店で、デザイン・建築・アート本の売れ筋をチェックして歩き、短い書評を書いて毎月レポートをFAXで送っていた。そのおかげで、文章が上手くなり、マンハッタン中の本屋の売り場にも精通していた。 オレンジ色の背表紙の小ぶりな本を手に、道を渡り、向かいのスタバに腰を下ろして、早速、読み始めてみたのだが、予想以上に手強いことはすぐに分かった。 原作はドイツ語で、翻訳も古風な英語で書かれている上に、へんな名前の神様がぞろぞろ出てくる150年前のオペラである。アメリカ在住たった数年のデザイン専攻学生に歯が立つ代物ではない。 ４部構成のオペラらしきことはわかり、第一部「ラインの黄金」というオペラの流れだけざっと目で追ってから、再び地下鉄に乗って、家に戻った。 なにせ、美大の課題でも忙殺されていた頃のことだ。少しでも読み進めようと、ベッドでページをパラリパラリとめくってみたが、私はすぐに、神々の眠りの魔術に落ちていった。 &#160; ｛写真：当時の書き込みのままの「The Ring」脚本｝ ＝＝＝ つづく ＝＝＝ 連載中の全記事 &#62;&#62;]]></description>
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		<title>『NYの美大生、決死のアタック。そして意外な返事』 連載 石岡瑛子さんからの個人レッスン – 4</title>
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		<pubDate>Sat, 04 Feb 2012 15:18:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator>阿部譲之</dc:creator>
				<category><![CDATA[石岡瑛子さんからの個人レッスン 〜 元助手の体験記]]></category>

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		<description><![CDATA[帰り支度を済ませた石岡さんは、ハンドバッグに手を伸ばし、イスから立ち上がった。 目の端でタイミングを見極めていた私は、素早く数歩近づく。緊張を隠すように、あくまでも自然に、そしてさりげなく・・・。 「石岡さん、今日は、お疲れさまでした。」 「ええ、作品の説明、ありがとう。」 「あの、申し遅れましたけれども、作品をいままで拝見して、とても尊敬してます。将来、なにかお手伝いする機会があればと思ってます。お金はいりませんので。」 彼女は、まじめな声で即答した。 「わたし、学生のインターンは使わないんですよ。」 あっさり撃沈。ダメ元でアタックしているけれど、がっくりした。 ここで、この若き美大生の住んでいた「ニューヨーク」という街の流儀を、少し書いておいた方が良いかと思う。 マンハッタンには、ワールド級のデザイナーがウジャウジャ住んでいるのだけれども、有名な事務所は求人情報をまったく表には出さない。だから、学生達は、偶然会えた時には必死で食いついて、インターンとして手伝う機会を経て、晴れて正式に雇われるケースが多い。 だから、この街の美大生達は、ギャラリーやショップのオープニングパーティー情報をキャッチすると、ちょっとだけ着飾り、チャンスとタダ酒を求めて地下鉄に乗って、いそいそと夜の街に出かけて行く。 当時の私は、あちこちに足を突っ込んでいたせいで、学生のくせに、MoMAやメトロポリタン美術館のパーティーの招待状をよく持っていて、そのためだけに安物の蝶ネクタイとタキシードまで一式揃えていたものだ。 そういう場数を踏んでいると、有名人と話す機会に出くわす度、握手を求める手を差し出しながら「I admire your work!」（あなたの作品は最高です！）と、勝手に口が動くようになる。「admire」という言葉は、日本語と完全に一致する言葉がないが、感服・賞賛するという意味で、心の底から好き！という最高の褒め言葉。酒を片手に初対面の他人に遠慮無く話しかけるアメリカ人達を観察していて覚えた。 私が「尊敬しています」と彼女に言ったとき、石岡瑛子という人について、あまり知らなかった。 これは白状しておく。 とは言え、彼女のことを詳しく知っていたら、仲良く1時間も二人きりで過ごすことはできなかったでしょう。少し心が通じたような気がしたし、彼女のことに無知だったせいで、素直にこのおばさんと一緒に仕事をしたらきっと楽しそうだとも思った。 尊敬していると言われて嬉しくない有名人がいないことは知っていたから、スラスラ言ったものの、タダ働きでいいので仕事をさせろとまで言ったのは、私の人生で、これが最初で最後となる。 石岡さんは、私の意表を突き、挑戦的な口調で私の目をギロっと見て言った。 「私の『どの』作品が好き？」 顔には、悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。 後でわかったことだが、NYは社交上手な軽薄連中が多いので、安易に「尊敬している」と言う輩が現れると、彼女は必ずこうやって聞き返すのだ。 「い～ぃ一番好きなのは、やっぱり…、ドラキュラの真っ赤なドレスですぅね。」 「そうですか。あのコスチュームは好きな人が多いのよ。」 私が知っていたのは、あのドレスだけだったのだ。昔読んだデザイン誌の1ページをドーンと飾っていたから、世間の評価が高いことは容易に想像がついた。 そして、いまにも「二番目は？」と聞かれるに違いないと覚悟を決めていたのに、その人は、私に向かって、嬉しそうに次のようなことを言った。 「いま、ちょうどお金にならないプロジェクトをやっていてね。オペラなの、アムステルダムの。オペラって、びっくりするくらい予算が無くて大変なんですよ。もしかしたら、手伝ってくれれば助かるかもしれない。」 きた！ 私は、大あわてで自分の肩掛けカバンを取りに走り、スタスタ歩いて出口に向かう石岡さんに追いつくと、軽く息を弾ませながら、キンコースでコピーして作った手作り名刺を1枚渡した。 「じゃ、近いうちに電話するわ。ありがとう。」 そう言い残して、石岡瑛子というおばさんは、登場したときと同じように、タクシーに乗って颯爽とソーホーの街に走り去った。 ＝＝＝ つづく ＝＝＝ 連載中の全記事 &#62;&#62;]]></description>
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		<title>『「アカデミー賞」と檻の中。助手としての初仕事』 連載 石岡瑛子さんからの個人レッスン – 3</title>
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		<pubDate>Wed, 01 Feb 2012 04:16:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>阿部譲之</dc:creator>
				<category><![CDATA[石岡瑛子さんからの個人レッスン 〜 元助手の体験記]]></category>

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		<description><![CDATA[石岡瑛子という怖そうなおばさんと美大生の私は、二人きりで、ソーホーの広いギャラリーに取り残されていた。 デザインコンペのスポンサーである偉いおじさん達は、彼女の希望で別室に追いやられることになり、主催者の海老原嘉子さんは、 「こちら、工業デザインを勉強してる優秀な学生の阿部くん。彼が作品の説明するから」 と、ハードルを上げるセリフを言い残し、彼らの相手をするために一緒に出て行ってしまった。 「そう。よろしく」 黒いイッセイ・ミヤケを全身にまとった石岡さんは、端的な言葉でそう言うと、私の眼をじっと見つめて、古風な赤い口紅を塗った唇と少し濃いめの化粧で社交的な笑顔を見せ、片手を差し出した。 私が、あわててつかんだその手は、意外にも小さくて、繊細な女性のものだった。 石岡さんの古い友達である海老原さんから、「瑛子はプロダクトデザインのことはよく分からないだろうから、阿部くん、説明してあげてよ」と事前に頼まれてはいた。 もちろん、「アカデミー賞」と二人きりで、檻に閉じ込められるとは聞いていない。 でも、私は認めなければならない。偉そうなおじさん達が、寂しげな顔で全員追い出されるのを眺めていたら、一番若い自分だけ残っても良いという展開に、ちょっと優越感も感じていたことを。 NYの美大生にとって、「この間、すごい有名人と会ってさ」という自慢話は、自分の格を上げる重要なネタなのだ。 アートギャラリーが建ち並ぶソーホー地区らしい、高い天井に白い壁の、大きなスペース。この日はギャラリーは休みで、かわりに各国の学生から届いたプレゼンボードが床置きで立てかけられている。そこに、たった二人だけだから、静かなものだ。ときおり、ギャラリーの前の道を車が通り、人が歩いて行くのが、ガラス越しに見える。 石岡さんはすでに、胸の前で腕を組んでウロウロしていた。ずらっと並ぶ100点ほどのデザインボードを前に、始める気まんまんのようだ。有名な人だから、きっと早く済ませて帰りたいのだろう。 私は、審査用紙が挟まったクリップボードを手に、審査番号「1番」のパネルへと、彼女を礼儀正しく、精一杯の機敏な動作でお連れした。 プロダクトデザイン界を代表して、石岡さんの説明係をおおせつかったから、一流の解説をしようと必死だったけれども、なにしろ、学生の作った下手くそなプレゼンばかりだし、ヨーロッパの美大からの出品も多くて英語が意味不明。ちょっと読んだぐらいでは何がデザインの売りなのか、さっぱり検討がつかない。 そんな焦りに気づいてない彼女は、「このデザインは何が特長なんですか？」とか「この部分はどんな機能なの？」と容赦無く聞いてくる。石岡さんは、私の薄い説明にも真剣に耳を傾けてくれている。すべての作品を丁寧に理解してから選ぼうとしている様子がうかがえたので、私も一緒にプレゼンの内容をできるだけ理解しようと努めた。 学生が授業の課題としてあわてて出品した低レベルなものも多かった。「ハサミなのに何も切れない」という、ジョークのようなデザインもあって、きっとこの偉い人は機嫌を悪くするに違いないとビクビクしていた。 ところが、である。 彼女は、そういうデザインに遭遇するたび、可愛らしく、クスクス笑っている。 私は、だんだん安心して、調子に乗りはじめた。 「いやー、これはひどいですね、石岡さん」 「救いようが無いわね、ふふふふふ」 こんな調子で、二人きりでたっぷり1時間をかけて、石岡審査員が選ぶ作品は決まった。 彼女が入選マークを貼った作品たちは、他の有名なプロダクトデザイナー達が選んだものとは、まったく違っていた。 まじめな私は「まずい、オレの解説が悪かったか？」と罪悪感を感じる一方で、「この人、ほんとにデザインのことわかってるのかなぁ」と疑問も感じていた。 何しろこの時点では、このちょっと変わった眼を持つ巨匠のことを、よく知らないのだから仕方あるまい。有名な人というのは、予備知識なしでいきなり会うと、私たちと大差の無い一人の人間にすぎない。 私は、審査が終わる頃には「意外に話のわかる面白いおばさんじゃないか」と思っていた。有名人だという話なのに、こんな地味な学生コンペを真剣に審査しているところは、ちょっと不器用でマジメな人のようだと、親しみを持った。 いま思うと、これが石岡さんの助手としての、最初の仕事だったのである。 登場したときとは打って変わり、スポンサーのおじさま達と礼儀正しく、楽しげに談笑した石岡さんは、帰り支度を始めていた。 その姿を、冷静を装った表情で見つめる、ひとりの若いデザイン学生。 彼は、最初のセリフを、頭の中で、繰り返し繰り返し、リハーサルしていた。 ＝＝＝ つづく ＝＝＝ 連載中の全記事 &#62;&#62;]]></description>
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		<title>『イエローキャブから現れた猛獣。石岡さんに初めて会った日』 連載 石岡瑛子さんからの個人レッスン &#8211; 2</title>
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		<pubDate>Mon, 30 Jan 2012 13:33:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator>阿部譲之</dc:creator>
				<category><![CDATA[石岡瑛子さんからの個人レッスン 〜 元助手の体験記]]></category>

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		<description><![CDATA[十五年以上も前の、あの日のこと。そこから書き始めようと思う。 当時、私は、ニューヨークの美大で勉強しながら、ソーホーの南端にあるデザインギャラリーのオーナー・海老原嘉子さんのところに頻繁に出入りしていた。NYに来た日本の著名デザイナーが必ず顔を出しに寄るという、デザイン界の生き字引のようなエネルギッシュな女性だ。 インターネットが流行しはじめたばかりの1996年頃、趣味で始めた美術館やデザイン系ショップを紹介するウェブサイトを見つけてくれて、「そのエネルギーをうちで使わない？」と声をかけられた。それ以来、彼女のデザイン財団を手伝って次から次へと有名な人に会ったり、日本のデザイン雑誌に書かせてもらったりと、大興奮の経験をさせてもらっていた。 石岡さんと初めて出会うことになるあの日は、刃物のデザインを競う、学生向け国際デザインコンペの審査会スタッフとして会場にいた。 自分もデザイン学生のくせに、出品する方には興味は無く、好きこのんで裏方として参加するところは、ませた美大生だったと言わざるをえない。 海老原さんの人脈で集まった審査員は、タッカー・ヴィーマイスター、カリム・ラシッド、エリック・チャンという、工業デザインを学ぶ学生には憧れの、超一流どころの勢揃いである。まさしく専攻がそれだった私は、神様達が作品を吟味する姿を、デザイン雑誌でも見ている気分で眺めていた。・・・いかにも日本人らしく、おびえながら端っこの方で、ですけれども。 さて、そのスターデザイナーの一団が去った後、1人だけ、まだ来ていない審査員がいた。 スケジュールが合わなかったのか、それとも、他の審査員達と顔を合わせたくなかったのか、審査員の中で唯一の日本人だった石岡という名の女性だけは、なぜか、独りで審査をすることになっていた。 その人のことは、ほとんど知らなかった。 高校生だった頃、父が買ってきた「AXIS」という日本のデザイン雑誌に、映画「ドラキュラ」の真っ赤なドレスの写真が載っていた。キレイだなぁと思ったことは記憶に残っていて、海外で活動するファッションデザイナーだろうというくらいの認識だった。 海老原さんにとっては気心知れた古い友達らしく、カジュアルに「えいこ、えいこ」と呼ぶ仲のようで、アカデミー賞を受賞していて、ちょっと気難しい人だと教わった。 そうこうしていると、会場だったギャラリーのガラスドアの向こうの道路に、まばゆい山吹色のタクシーが一台とまるのが見えた。 誰かが「あ、いらっしゃったようですよ」と声を出す。その有名人の姿を見ようと、落ち着かない様子で、今か今かと待っていたスポンサー企業のおじさま達一同は、一斉に入り口の方を向く。 タクシーの黄色いドアを押しあけ、機敏な動きで中から現れたのは、小柄な、全身真っ黒の「クマ」だった。 巨大なサングラスをかけ、肩に小さなツノがあるプリーツ・プリーズの上着をまとい、足元まであるロングスカートという出で立ち。パーマがかかったチリチリの髪型も大迫力で、何も知らない他人が見てもタダモノではないということくらいは察するであろうオーラを漂わせていた。 ガラス張りのドアを開けて、中に入ってきた彼女は、待ち受けるスポンサー企業のおじさん達の一団を見て笑顔でお辞儀をするや、スタスタと海老原さんの方に歩み寄り、サングラスをかけたまま小声で話し始めた。漏れてくる声は、あきらかにイライラしている。会場に冷たい空気が流れ、一同、呆然としてその様子を見守っている。 判決。審査に集中できないので、「全員締め出し」をご希望である。 見た目どおりの、おっそろしい、おばさんだ。 ＝＝＝ つづく ＝＝＝ 連載中の全記事 &#62;&#62;]]></description>
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		<title>連載「石岡瑛子さんからの個人レッスン」〜 助手をやった若者の体験から-1</title>
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		<pubDate>Sun, 29 Jan 2012 15:22:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator>阿部譲之</dc:creator>
				<category><![CDATA[石岡瑛子さんからの個人レッスン 〜 元助手の体験記]]></category>

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		<description><![CDATA[NHKのドキュメント番組『プロフェッショナル』に、アカデミー賞を受賞した石岡瑛子さんのマンハッタンの仕事場が映って、「あれっ？」と驚いた。 広大なセントラルパークを見下ろす、黒光りする尖った高層ビル。カーネギーホールの隣に立つ超高級マンションの70階という絶景。あの番組を観た人には、単に、見慣れたNYの光景だったでしょう。 なぜビックリしたか。 いまから15年ほど前のこと。あそこは、当時助手をしていた私が一度も入れてもらえなかった、謎の自宅兼仕事場だったからだ。そこに、テレビカメラが入っている・・・。それに、公の場に登場するときは、ふさふさした巨大な黒髪がトレードマークだった彼女は、なぜか、頭にスカーフをかぶっていた。 その番組を観た翌年。彼女の死を突然知ったのは、2012年1月27日の朝。 ソファで目が覚め、毛布を被ったまま朝日新聞のサイトを読んでいたら、見慣れた漢字４文字が眼に入って、背筋が凍った。 亡くなってから1週間近くが経っている。しばらくご無沙汰していたせいもあるが、癌で去年から日本に戻って来ていたということも初めて知ったし、葬儀も近親者だけで行ったと聞いた。 鋭く厳しい仕事人としての自分のイメージを維持することにこだわる人だった。プライベートな緩い部分は公の場では、ほとんど見せなかったから、石岡さんらしい去り方とも言えるかもしれない。 石岡さんと出会った当時の私は、ニューヨークのプラット・インスティテュートという美大で、工業デザインを勉強している学生。二十歳くらいだったろうか。 その若造が、ある日突然、アカデミー賞をとった彼女の助手をすることになった。 伝統的な日本の芸能・工芸の世界で働き始める若者は、最初は親方の身の回りの世話をさせられる。ヨーロッパで指揮者を目指す音楽家の卵も、巨匠の鞄持ちをする日々の中で、師匠がどのように人と接し、生活の中で大舞台へと準備を整えるのか眼にすることによって、仕事人としての生き様を学ぶという。 私が、石岡さんの手伝いをする中で頭に刷り込まれたことの多くは、作品の作り方ではなく、仕事人としての生き様だった。彼女に関する予備知識がほとんど無いというのに助手を始めたから、彼女のことを「すごい有名人」という色眼鏡で見ていなかったせいもある。 ほとんどの他人が目にすることができるのは、「作品」という結果だけだ。クリエーターというのは作品で評価される仕事だから、当然と言えば当然のことだけれども、作品の姿は、言うなれば、エベレストの頂上を撮った1枚の写真。 若きクリエーター達が学ぶべき作品づくりの本質は、派手でかっこいい頂上ではなく、そのはるか下にある「地味な毎日」の方にあると石岡さんは教えてくれた。 これから私が、10回ほどにわけて書いていくのは、マンハッタンで助手をした約2年の間に見たことや、石岡さんから聞いたこと。そして、私が帰国してからも突然かかってくるピンチヒッター要請の電話のこと。「大家さん」としての石岡さんのことも少々。 プライベートな側面は、親しい人以外には見せなかった彼女が、亡くなる前にテレビに出たところをみると、働く生の姿を若い人に見せておこうという心境になったのかと思う。そこで、彼女に怒られない程度に、私が個人的に経験した彼女の手伝いのことを、この機会に書くことにした。 デザイン業界では「鬼のように厳しい」仕事人として知られる石岡さん。 でも、私の知っている石岡さんは鬼じゃなかった。いつも優しくしてくれた、笑顔で乙女な「瑛子さん」の方を書きたいと思います。 ＝＝＝ つづく ＝＝＝ 連載中の全記事 &#62;&#62;]]></description>
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		<title>Looking for &#8220;LifeAidKit&#8221; Beta Testers / ベータテストのボランティアさま募集</title>
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		<pubDate>Mon, 18 Jul 2011 10:24:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>阿部譲之</dc:creator>
				<category><![CDATA[インドで作るiPhoneアプリ]]></category>

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		<description><![CDATA[Please participate in this &#8220;better life&#8221; test! I&#8217;m releasing the iPhone App &#8220;LifeAidKit&#8221; in August 2011 to Apple&#8217;s AppStore. The LifeAidKit app will let you clearly see how much time is left of your life, as well as your parents&#8217; and family members&#8217; to make your life more fulfilling and meaningful. That is rather easy [...]]]></description>
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		<title>妄想から生まれたアプリに初めて触る 〜 最初の実機テスト版、インドから届く</title>
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		<pubDate>Fri, 15 Jul 2011 06:05:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>阿部譲之</dc:creator>
				<category><![CDATA[インドで作るiPhoneアプリ]]></category>

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		<description><![CDATA[正式発注から丸3週間になろうという昨夜、インドからテスト版アプリが送られてきた。 これが、自分のiPhoneにインストールしてチェックできる一番最初のバージョンだ。デザイン画にすぎなかったアプリに、文字通り指で触れる、感動の瞬間である。 初めて仕事を頼んだ相手なので、最初のラフ版の出来がどうかで、先行きがある程度想像できる。半分楽しみでもあり不安でもある複雑な心境だ。送られてきたのが夜遅かったこともあり、また、見るのが微妙に恐ろしかったりもして、翌朝にインストールすることにした。 開発途中のiPhoneアプリは、自由に配布するのは技術的に制限されている。Appleを介さない販売を禁止するためのルールだ。そこで、どうやってiPhoneの実機でのテストや、公にベータテストをするかを簡単に説明したい。 まず、テストに使いたいiPhoneに割り当てられている「UDID」という固有シリアル番号をAppleの開発者サイトで登録する。「Mobile Provisioning File」という証明ファイルを発行できるようになるので、開発途中版のアプリ本体と一緒に、テストを頼みたい相手にメールで送る。基本的にはこれだけのことだが、Appleとの手続きが初心者には複雑なので、今回は慣れているTechAhead社の連中に頼んだ。 届いたこの2つのファイルを、パソコンのiTuneにドラッグ＆ドロップしてから、iPhoneとシンクロ。すると、画面にアイコンが出現する。アイコン画像をまだ開発チームに渡していないので、のっぺらぼう状態（右）。アプリ名も発注時の仮称「LifeMeter」のままだが、このあたりは、まとめて変更依頼を出して変えてもらおう。 起動してみると、意外にも普通に動いているではないか。人の寿命をグラフ表示する「ホーム」画面（この記事のトップ写真）は、ほぼこちらの意図したとおりになっていて、ホッとした。こちらで画像パーツを提供して、そのままプログラム中に埋め込んでもらっているので、あまり大きく外すことはないわけだが、自分の作業量が増えるのが言うまでも無い。 文字のサイズや色、細かいズレなど、デザイナーとしては直させたい欲求に駆られるが、プログラムがどんどん変化していく間にどうせまた壊れるので、まともに動くようになってから最後にまとめてビジュアル上の修正指示を出すことにする。プロラムはまともに動くかどうかが命であるからして。 こちらはホーム画面でリストに登録した人それぞれの、詳細情報とTo Doリストを表示する画面。 まだ要素の仮置きまでで、機能は搭載されていない。次回のチェックまでお預けである。ま、しかし、このダミー画面があるだけでもなんだかホッとする。To Do リストの部分は本番デザインになっていない。聞くところによれば、プログラミングの担当者が、この画面用に送った指示書があることに気付いていなかったそうだ（笑） 各人の名前や生年月日を入力する画面。ほとんど向こう任せにした結果、そりゃ当然こうなるよね、という実例。 iPhoneの標準的なインターフェース要素を使った画面は、デザインのトレーニングは受けていないプログラマーが作るから、こちらで具体的に欲しいデザインを指定しないといけない。と言っても、どんな作りが可能なのかを知らないので、勉強するか、他のアプリの例を資料として渡すしかない。この画面についてはテキストを入力した後にキーボードが消えなかったり、次の項目に進めなかったりと、まだまだ荒削り。 実は発注する前に「途中版はどうやって見せてもらえるのか？」と質問した。Skypeのビデオチャットを使って、開発中のバージョンを確認してもらうと言ってきたので「iPhone上で実際に動かしたい」と頼み込んだ。向こうとしては手間も増えるし、不都合な部分も見せてしまうことになるので、最後の段階までは触らせたくないだろうと察するが、徹底的に指で触ってみないと正確な指示を出せない。 テスト版を触っていると、紙の上で指定したデザインでは矛盾することも多くて、改良や追加機能はボロボロ出て来る。しかし、大割引をしてもらって総額2,500ドルの固定開発額にしてもらったので、最初に出した仕様書から大幅に変わってしまうと、申し訳ないというか怒られそうというか。こういうところは、日本人としては軽く恐縮してしまうわけで、どこまで頼んで良いのかがちょっとした葛藤である。 その一方で、世界標準としては、とりあえず無茶でも要求してみるというのが普通のようだ。発注前に話したTechAhead社のプロジェクト管理担当によれば、アメリカ人は「払った金以上の仕事を要求する」とのこと。一方「日本人はプロフェッショナルだし、欲しい機能やデザインが何かはっきりわかっている」とも言っていた。彼らにとっては、仕事相手の国民性によって、プロジェクト進行が大きく左右されるだろう。費用の割引はある意味「日本人割引」の可能性もあるのではないかと妄想している。 最初のテスト版が送られてくるまで、ずいぶん時間がかかっていたが、あまり催促はしなかった。さすがに「そろそろどうだい？」と催促をし始めたところ、やっと出てきたというわけだ。アメリカに５年住んでいたと言っても、遠慮がちな日本人の私には、まだこのへんの力加減がわからない。 さて、一通りテスト版アプリを触ってみたら、修正して欲しい点を細かく、具体的にリストに書き出し、インドの開発チームに送り返して、次のテスト版アプリがくるのを待つ。このサイクルを数回の繰り返し、完成まで2〜3週間の道のりというところだろうか。 考えようによっては、インドにアウトソースして作っているわりに、意外にもスムースに進行中。よしよし。]]></description>
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		<title>ヤシの木、貸します。</title>
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		<pubDate>Wed, 06 Jul 2011 04:32:13 +0000</pubDate>
		<dc:creator>阿部譲之</dc:creator>
				<category><![CDATA[デザイナーが考えるビジネス]]></category>

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		<description><![CDATA[バリ島・ウブドゥは、田舎の山の中にあるが、外国人が波のように押し寄せる観光地。 でも、店が建ち並ぶ大通りをちょっと離れると、そこには昔ながらの田園風景が広がる。赤道直下の国であるがゆえに、1年に3回、米が収穫できるという豊かな大地だ。 人混みと観光名所が嫌いな店長と私は、太陽が照るつける田んぼの道を、特にあてもなく、散歩にでかけた。 道端のヤシの木の幹に、何か書かれた札がぶらがっていて、眼と足をとまった。 「FOR RENT」 南の島に、自分専用のヤシの木を1本借りられるとは、なんともロマンチックではないか。見上げると、実のつきもなかなかご立派である。 下の方の細かい字はあえて読まなかった。だから、本当は何の看板だったのかは定かではないのだが・・・。 斬新なアイデアやデザインの多くは、奇抜な「組み合わせ」によるもの。 紙切れ一枚、貼る場所がちょっといつもと違うだけで、ストーリーが生まれるものなのである。]]></description>
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		<title>正式発注ダン。iPhoneアプリと言う名の「20万円」プチギャンブル</title>
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		<pubDate>Tue, 05 Jul 2011 09:57:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator>阿部譲之</dc:creator>
				<category><![CDATA[インドで作るiPhoneアプリ]]></category>

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		<description><![CDATA[ついに「寿命アプリ」をインドに正式発注した。開発者募集から1週間ちょっとという、あっというまのプロジェクトスタートだ。 11社＋1人のiPhoneアプリ開発先からのオファーから選ぶのは、悩ましい道のりだった。日本の会社とは比べものにならない超積極的な営業活動に振り回されながらも、ベストの1社を選んだ。 もろもろの条件が絡んでいるのは言うまでもないが、一番大きな要素となる、「金」の沙汰からご説明しよう。海外アウトソースの胆となる要素あるからして。 入札してきた各社とも、私の書いたA4サイズ・4ページの基本仕様書を社内で検討した後、「200時間」前後の開発時間が必要だと見積もってきていた。 開発工数については、どこも互角。私の作ったデザイン案は、彼らにとっては簡単に作れる部類のようだ。作るのに必要な時間が同じとなると、1時間あたりの単価が鍵。これは国や、会社によってまちまちだった。 Skypeを使って発注の可能性を相談をする中で話が盛り上がり、情熱的な仕事人（かつ共同オーナーのひとり）のVijay氏と仲良くなった「Quitet Solutions」社は、チャージが1時間あたり「20ドル」。仕事ができそうなわりに安い。ただし、見せられるiPhone開発事例が2つだけだったのがネックになった。私のデザイン仕様書を見せたところ「これはぜったい売れるぜ！」とノリノリの反応を示してくれたのは嬉しかったし、工数見積もりは「この時間数を超えても私に請求はしない」という補償付きというのは好印象だったので、残念だった。 一方、発注先として最終的に選んだ 「TechAhead」（テックアヘッド社） は、iPhoneアプリの開発事例が充実していて、極めて新規クライアント獲得に積極的。「今後の長い関係が期待できるなら1時間15ドルでやる」と一番最初から申し出て来ていた。激安のインド他社の相場からさらに、25%引きである。しかも、Skypeでの打ち合わせの結果、さらに割り引いて従量チャージではなく、定額請求の「2,500米ドル」で引き受けるというではないか！日本円で20万円少々という、魅力的なオファー。 これで心は大きく動いたが、世界レベルの営業活動をあなどってはいけない。 複数のプログラマーを投入してたった3週間で納品するという。3週間では、こちらがつくる画面デザインが間に合うかどうかという超スピードだ。これを聞いて、わたしは率直に、こちらのケツを叩いてくれそうで良いと思った。こっちよりも、発注先の方が仕事が早いなんて理想的ではないか！ しかし、そういう甘いオファーには条件が付きものだ。 つきつけられたのは「すぐの発注」。その週スタートなら人に余裕があるので安くできると言っている。このインド物価でも安いチャージでは、かなりの数のプロジェクトを同時進行しているだろうから、そういう事情もあるだろう。一抹の営業トーク臭も感じつつ、すぐに返事をすると伝えた。 そんな最終的な決断を迫られているまっただ中、突然、他社より1週間遅れてオファーを出してきた、ウクライナの会社があった。もう、TechAheadでゴーか？とほぼ決めていたときのことである。 連絡してきたのは「PopAppFactory」という、首都キエフにある開発会社。世界マーケット進出の一環で、Elanceを使い始めたばかりだという。担当者はエレナさんという女性で、メールのやりとりも穏和な感じでプロフェッショナル。最近、社内のデザイン部門を独立させて、デザイン専門会社も持っており、同じフロアで仕事をしていると言うではないか！作品集は、極めてデザイン性が高く、定価は1時間35ドルで、インド相場よりも高いのだが、本気で悩んだ。ソフト開発は、開発チームが自らデザインの細かい部分を作り込めるのが理想なのだ。全デザイン要素や文字サイズ・色をこちらで指定するのは、正直しんどい。先方にまかせられるなら、少しくらい高くても納得である。 時給35ドルだと50万円コースになる。TechAheadへの正式発注期限までカウントダウンしている最中、さんざん悩んだ末、金額的に無理だと判断した。そこで、TechAheadに正式発注をかけた直後に、事情を説明して、PopAppFactoryにも今後のために見積もりをくれと頼んだ。すると「iPhoneアプリ開発の最低チャージは2,500ドルなんだけど、このデザインならたぶんその最低額で受注できるわ。こちらのアートディレクターと相談してから正式な金額のオファーになるけど」とエレナ。しかし、すでに、Elance.comの「正式発注」ボタンを押した後だった。契約は完了してしまっている。ウクライナの時差が、インドよりも数時間遅かったのが、災いした。これがグローバルな取引の定めというところか。 惜しい話は、これだけではない。しつこく「iPhone事例があれば見せてくれ」と頼んでいたQuintet SolutionsのオーナーVijay氏。後日のことだが、私も日常的にお世話になっている某社の次期iPhoneアプリを開発中だと教えてくれた。クライアントの担当者に話してもよいか確認まで取ってくれたようで、私も使っているアプリだったので驚いたが、時すでに遅し、すでに正式発注をした後だった。次の機会に仕事をさせてもらうことにしよう。 さて、発注先として決めた「TechAhead」社は、費用が安いだけでなくなかなかの実力派だ。当然、金額だけで選んだわけではない。 まず、マーケティング活動の積極さが、競合他社を寄せ付けないレベルだ。費用の返金保証だけでなく、バグ取りは30日間無料サービスするという念の入れよう。西洋人顧客が、TechAheadを褒めちぎるYouTubeビデオまで複数掲載している。 Elance.com上でのプロジェクト実績も多く、掲載されている顧客レビュー評価も高い。モバイル端末用ソフトの開発を主な仕事としているので、開発事例も多数。事例のビジュアルデザイン性については、平均レベルだが、20万円なら少しは妥協してもよかろう、という気分になった。最終的に３つに絞り込んだ候補のうち２社は、Elance.comを使い始めて日が浅いことも不安材料になった。Elanceは、契約や支払いの仲介機能を提供しているので安心だし、私がElanceを使ったプロジェクトを1度はやってみたかったこともある。 ところで、信頼できる人の紹介もなければ、もちろん会ったことも無い海外の相手に仕事を頼むわけなので、選ぶこちらは慎重にならざるをえない。20〜30万円とは言っても、英語風に言うと「トイレに流してしまいたくはない」。これは、ちょっとしたギャンブルだ。 そんな話を同居人の花屋店長にしたところ、「最初なんだから失敗するつもりでやりな」と申すではないか。勤め人で、飛行機のお姉さん思考だったはずが、いつの間にやら、そんなビジネスマンみたいなことを言うのでビックリした。そりゃそうかもしれない。日本やアメリカの会社に頼むと100万円コースになるところを、20万円で3週間、なわけである。最初のトライが、簡単に作れるアプリだったのは助かった。世界の全iPhoneユーザーを相手に1,000本売れば開発費だけは回収できると試算して、気は楽になった。 今回のプロジェクトはTechAheadに発注したものの、Elance.comで募集をかけて良かったのは、他の開発会社を見つけられたという大きな収穫。 地球には腹を空かせたスゴ腕の仕事人達がウヨウヨいて、安い金額で仕事を引き受けてくれる。 中野区新井の小さな花屋を手伝いながら、各国の優秀な会社とのネット交渉をするという対照的な1週間で、それを実感した。日本という箱の中だけでビジネスをするだけもったいない。グローバル化と言っても、私たちは意外に西洋と日本だけが世界だと思っているんじゃないだろうか。 地球はずいぶん広いみたいよ、みなさん。]]></description>
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